伝えてもらったことを、伝えていく
- マエダシンゴ
- 2020年9月27日
- 読了時間: 3分
2020.9.27
五木寛之先生の「こころの相続」を拝読しました。

人生観が変わるような、こころを揺さぶられることが簡潔に、でも力強く、描かれていました。
「相続」と聞くと、お金持ちの家に生まれていない自分には、なんだかあまり関係のない話だと思ったりしてしまうのですが、それはお金や土地、財産などの「物質的な相続」をイメージしているからだということに気づかせてもらいました。
「相続」というコトバに、ドロドロしたものだったり、争いごとのようなことを連想してしまうのも、お金に関わる「物質的な相続」のイメージが僕の中で強いからでしょう。
でもこの本の中で書かれている「こころの相続」は、まったく別のものです。
それは、
魚の食べ方であったり、
味の好みであったり、
歯の磨き方や体を洗う順番であったり、
帰宅した後の靴の脱ぎ方であったり、
方言やしゃべり方、しぐさであったり、、
目には見えないけど、僕たちのこころの中に息づいている「習慣や癖」のようなもの。
それらを知らず知らずのうちに受け継いでいる。
それは何も親だけではなく、兄弟であったり、恩師であったり、上司であったり、恋人であったり、友人であったり。
出会ったすべての人から影響を受けて、今の「自分」が存在している。
そしてそれは、個人のものだけでなく、会社や学校、グループ、町や県などの地域、国といった集団にも広がっていって、「学問」や「芸術」、「文化」や「伝統」を作っていく。
「こころの相続」とはそんなようなことなんだと、僕は理解しました。
この本の中で、「親のこれまで歩んできた道のりを聞いたほうが良い」ということが何回も書かれています。
自分の両親がどこで生まれ、どんな幼少期を過ごしたのか。
どんな想いで働いてきたのか。どこで、どのように二人が出会い、自分が生まれたのか。
どんな気持ちで、自分を一人前の人間に育ててくれたのか。
そういったことを、両親が健在なうちに、是非聞くべきだ。と。
コロナ禍で帰省もはばかれる昨今ですが、この本を読んで、すぐに自分の親に電話をしました。
でもやっぱり、会ってゆっくり話をしたいです。
僕の両親は幸いまだ健在ですが、これまでに身近なひとが亡くなるという経験を何度もしました。
そのたびに、もっと会って話しておけばよかった。と後悔します。
でも、きっと、その故人の方々からも、たくさんのものを受け継いでいるんだと思います。
そしてこれからは、自分がこれまでに受け継いできたたくさんのことを、次の世代にバトンタッチしていかなければならない。
そんな、ある種の使命感のようなものも、この本を読んで芽生えてきました。
僕は大学教員という「教える」仕事なのですが、どうも「教える」ことが苦手です。
以前にも書きましたが、「教える」とか「教育」というのはどうしても上から下へ、という一方向な感じがしてしまって、おそらくそれが好きじゃないんだと思います。
だから、僕が学生や大学院生のみんなに伝えていきたいことは、
「悩んだり、壁にぶつかったり、わからないことがあったときに、
もうダメだとあきらめたり、できない理由を考えるのではなく、
どうやったらできるのか、壁をのりこえられるのかを考えて、実際に行動する」
ということです。
一言でいえば、「試行錯誤」を具体的にどうやって実行していくか、でしょうか。
これさえできるようになれば、自分のやりたいことや夢をあきらめることはなくなります。
他人に否定されても、自分の信念をつらぬくことができます。
自分の人生を、主体的に生きることができます。
そんな人生の羅針盤を、僕はたくさんの人から受け継いできました。
そういう僕も、まだまだ勉強中です。
教えることもあれば、教わることもたくさんあります。
そうやって一緒に考えたり、迷ったり、選んだり、悩んだり、調べたり、決めたりしていくことで、僕がこれまで受け継いできたものを少しずつ繋いでいけたら、相続していけたら、うれしいです。

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